皆さん、子育てしてますかー!
こんばんわ、ざぶです。
最近、子供たちが言う事を聞かなくなってきた、とついつい愚痴をこぼしてしまっています。
しかし、それは本当に聞かないのだろうか?
それとも何か子供たちの中にあるのだろうか?
と考えました。
先日の記事で「しつけ」と「服従」のお話に触れました。
この中の「子供が反抗して自己防衛する」が親の言葉を聞かなくなる一つの原因ではないかと疑ってみました。
「服従」に関しても色々な服従の仕方があるかと思います。
ですが「服従」を強いるには何かに対して「屈服する事」と意味するかと思います。
そこが何かと考えれば「虐待」ではないかと導き出しました。
実際に、権力や支配など「力関係」が関与してきますのであながち「虐待」でも間違いは無いかと思います。
そこで、「しつけ」と「服従=虐待」の違いを理解して、実践すれば子供たちは聞いてくれるのではと感じます。
「しつけ」とは
しつけ(躾・仕付けまたは仕付)とは、人間社会・集団の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞い(規範の内面化)ができるように、訓練すること。概念的には伝統的な子供への誉め方や罰し方も含む。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世の中には「教育」と言う言葉があります。
ただこの「教育」とは総称の言い方であり、実際には大きく「知育」「徳育」「体育」の3つに別れています。
「知育」「体育」はよく耳にするかと思いますが「徳育」ってのはあまり聞いたことが無いと思いますが、漢字から推測すると小学校の時に習った「道徳の授業」に当てはまるかと思います。
「しつけ」のウィキペディアの続きには
しつけとは、教育することと言い換えても良いが、教育一般よりも生活全般に根ざした、更に根源的な事柄にまつわる部分を教えていく行為を指す。・・・
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この文章を見ていると「しつけ」の類似で「道徳」と読み取れます。
ちなみに道徳とは
道徳(どうとく)は、道徳的規範(どうとくてききはん)や道徳性(どうとくせい)などのこと。倫理(りんり)はいくつかの意味をもち、道徳を表すことが多い。モラルとも称される。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
むずかしいです・・・。噛み砕いてみましょう。
社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。
出典:不明
以上の事を踏まえて私なりに導き出した「しつけ」とは
「虐待」とは
虐待(ぎゃくたい)とは、繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすることである。
具体的な内容は様々で、肉体的暴力をふるう、言葉による暴力をふるう(暴言・侮辱など)、いやがらせをする、無視をする、等の行為を繰り返し行うことをいう。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
虐待には5つの種類があります。
心理的虐待 :対象に心理的暴力を加える
性的虐待 :対象に性的暴力を加える
経済的虐待:対象に金銭を使わせない、あるいは勝手に使う
ネグレクト(養育放棄・無視):対象に必要な資源を提供しない
もう、導き出すまでもありませんので、引用させて頂きます。
まとめ【しつけ】と【虐待】の違い
人間社会(集団)の範囲で生活するに当たり、規律や礼儀作法を守り善悪の分別(善を行い、悪を行わない)が出来るように訓練を行う事。
肉体的暴力をふるう、言葉による暴力をふるう(暴言・侮辱など)、いやがらせをする、無視をする、等の行為を繰り返し行うことをいう。
こう比べてみると、まったく違う事ですね。
この結果を見る限り、「しつけ」と「虐待」の違いは紙一重の所ではあります。
しかしながら大きく違うのが、子供にとって精神的苦痛があるか、ないかです。
この点は、その子にしか判らない事実ではあります。
しかし、親とすればそこを出来るだけ汲み取り、子供に精神的苦痛を与えているかどうか考えなければいけません。
親は、自分の考えで子供を育てるのではなく、子供の気持ちを汲み取って子供を育てをしなければ
たとえしつけであっても虐待になり、虐待のように見えてしつけであると言う事です。
ただ、共通点が一つあることに気が付きました。
「上手の人が下手の人に何かを行い続ける事」
この点を踏まえても、しつけだとしても威圧的であれば虐待になり、虐待に見えて子供からするとしつけであります。
まわりから見て、しつけか虐待かわかるようなことではなく、大切なのは親子の信頼関係だと気づきました。
それでは、本日はここまでとさせて頂きます。
おやすみなさい。
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